当クラブについて

瀬戸内海国立公園と瀬戸大橋を望むコース

概要

城山は四国の玄関、坂出市(高松市の西20キロ、車で約40分)にあって、瀬戸内海国立公園地域内にある標高450メートルの梯状台地です。昭和28年、丸毛信勝博士の設計で着手し、昭和29年9月に完成した四国で最初のゴルフ場です。その後コースの改造に努め、現在の城山コースが完成致しました。

特色

コースは瀬戸内海国立公園内にあり、昭和63年4月に完成した瀬戸大橋を展望できる風景はまさに日本一を自負するところです。

インコース(瀬戸コース)は瀬戸内海に面し、海の見えるコースで10番、14番、15番、16番より、眼下に瀬戸内海の塩飽諸島及び対岸の本州の山々を望み、また11番、17番のアーチ橋のおもむきも捨て難いものです。

アウトコース(金比羅コース)は、讃岐平野に光る溜池や、向いにそびえる阿讃山脈を一望できます。特に2番グリーンから讃岐富士(飯野山)、3番からの象頭山(金比羅)、6番からの中讃平野・阿讃山脈の眺めは実に雄大です。

8番ティグランド及びクラブハウスからの瀬戸内海の夕暮れの景色の美しさは永く貴方の記憶に残るものと思います。
またコースは適当な起伏があり、全コースが独立し、手造りのコースの良さと戦略的なゴルフの楽しさを各ホールで味わえます。

コラム 〜高松カントリー倶楽部の歴史〜

■四国地方でもっとも歴史あるゴルフ場

高松カントリー倶楽部は四国地方で最も古いゴルフ場で、太平洋戦争の終戦から9年後の1954年(昭和29年)9月23日開場。当日は高松宮殿下によるテープカットや記念プレーが行われました。
当初はインコース9ホールのみで開場し、2年後の1956年(昭和31年)5月に、残りの9ホールが完成、現在の18ホールのゴルフ場となっています。

■戸田藤一郎プロのエピソード

ゴルフに関する様々なエピソードが紹介されていると評価の高い小池一夫作、叶精作画の「上がってなンボ!!」シリーズですが、このシリーズ第2弾「新上がってなンボ!! 太一よ泣くな」31巻でトイチこと鬼才・戸田藤一朗プロと高松カントリー倶楽部の関係が掲載されています。

当倶楽部は昭和29年の開場ですが、開場翌年にトイチをヘッドプロとして招待します。当時彼はプロの資格を剥奪され高松に在住していました。

不遇のトイチは高松カントリー倶楽部時代に「パンチショット」に磨きをかけます。この「パンチショット」は後にトレードマークとなるプレースタイルです。そしてトイチはプロプレーヤーとして不死鳥のように蘇るのです。

当コースの「残念坂」や「あえぎ坂」という名称はトイチがつけた名前と言われています。これらの名前からは、不遇の状態にありながら自らのゴルフプレーに磨きをかけ続けた、当時の彼の苦しみが伝わってくるようです。

ちなみに右下の写真はコミック30巻P.198〜P.202にも出てくるトイチの弟子である増田光彦プロが作成したトイチの銅線人形です。トイチの雰囲気がうまく醸し出されています。

ホロソ石

城山は字の様に、遠い昔、朝鮮式築城のあった山です。
ここは瀬戸内海を見張るための見張台としての城があり、現在も、その史蹟が沢山残り、コースのあちこちに当時の面影が見られます。

12番ホールには、どんな夏でも湧水の絶えない「水口」があり、これがそのまま、12番ホールの別名になっています。

13番ホールの「ホロソ石」も史蹟で、これは建物の土台石のことで、5番と8番ホールの間にこの石が残っています。

15番ティーグランドの後方には当時の城門が残り、その為に、15番ホールを「城門」と呼び、16番ホールは昔の城への車道の趾で、16番ホールのことを「くるま道」と名付けています。

史跡めぐりのお問い合わせは、坂出市教育委員会文化振興課まで。

会社概要

会社名: 高松カントリー倶楽部株式会社
所在地: 香川県坂出市西庄町城山1625-15
設計者: 丸毛信勝
開場日: 昭和29年9月